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コンドルの系譜 ~インカの魂の物語~

第六話 牙城クスコ(1)

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【 第六話 牙城クスコ(1) 】

目に見えぬ強大な敵、モスコーソとの対決の間にも、トゥパク・アマルのもとには続々と義勇兵志願のインカ族の者たちが結集していた。

モスコーソの破門宣告によって、確かに、当地生まれのスペイン人はトゥパク・アマルに表立って協力することに、かなり気弱になっていた。

しかし、今でも多くのインカ族の者たちは、モスコーソの脅しよりも、トゥパク・アマルの言葉を信じていた。

トゥパク・アマル直下の本隊に属する兵は既に4万人に達し、全国各地で活躍する彼に賛同する者たちを合わせれば、もはやこの頃には、インカ軍は全体で推定10万人を越す圧倒的な規模になっていた。

トゥパク・アマルは訓練された義勇兵たちを側近たちのもとに統制し、彼らを分遣隊として各地に派遣して統治下に置く地域を着実に拡大していった。

そして、己の率いるインカ軍本隊自体は、南部地域へと転戦して戦力を拡充しながら、インカ帝国の旧都であるクスコ奪還に狙いを定めていた。



しかしながら、この頃、正確には1780年11月24日――かのサンガララの戦から一週間の後――反乱勃発の情報を携え、且つ、援軍要請の書面をもったスペイン側の密使が、クスコを発って11日後、ついに首府リマに到着したのである。

首府リマ――そこは、副王ハウレギの膝もと、スペイン人高官たちがその絶大な権力を思うがままに振るう、かのインディアス枢機会議本部の置かれた、まさしく、このペルー副王領における植民地支配の中枢である。

リマ-クスコ間は、現在でも車で三日を要する距離であるから、徒歩か、せいぜい馬しかないこの時代、クスコを11月13日に発った使者が11日間かかってリマに到着したとしても驚くに当たらない。

そして、誰よりもはやくこのクスコからの衝撃的な知らせを受け取ったのは、植民地全権巡察官たる、かのアレッチェであった。

『インカ皇帝』を標榜したトゥパク・アマル率いるインカ軍が、もはやその膨れ上がった恐るべき規模で各地を占拠しつつインカ帝国の旧都クスコ奪還に狙いを定めていると、そう知らされたアレッチェは、「なんと…!」と低く呻いた後、暫し、呼吸すら忘れて絶句した。

そのいかにもスペイン人らしい堀の深い顔立ちに、他者を射竦めるような冷徹な眼光は変わらぬままに、しかし、この時ばかりは頭を鈍器で激しく殴られたような錯覚に襲われた。

確かに、このアレッチェとて、あのトゥパク・アマルのこと、よもや反乱の一つも企てずには終わらぬであろうとは当初から予測していたはずだった。

しかしながら、実際、反乱を事実として目の前に突き付けられ、しかも、予測をはるかに超える甚大な規模と壮絶さで展開しているさまに、さすがのアレッチェも度胆を抜かれた思いに憑かれたのだった。

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アレッチェは植民地巡察官としての職能を総動員して、すぐさま各地に伝令を放ち、インカ軍の状況に関して集められるだけの情報を掻き集めた。

そして、強い緊迫感を滲ませ、切り裂くような鋭い眼差しで、伝令の報告を、詰め寄るがごとくに聞きただす。

「被害状況はどのようになっているのだ。

トゥパク・アマルが占領した地は、一体、どことどこか?」

「それが…。」

伝令たちは、すっかり青ざめて、言葉に詰まりながら返答する。

アレッチェの険しく射抜くような眼差しに、伝令たちはいっそう蒼白になりながら、恐る恐る報告する。

「お…、恐れながら、申し上げます。

今や、ペルー副王領南部地域のほぼ全土、隣国ラ・プラタ副王領の北東部、他にもチリのアリカ、ボリビアの高地、さらにはエクアドル、コロンビアにまで火の手が上がっておりまする。」

アレッチェは一瞬、己の耳を疑った。

まさかこのような短期間で、足しか通信手段のないこの時代に、そのような複数の遠隔地にまで反乱が伝播しているなど、絶対に有り得ぬことだった。

「そんなはずはあるまい。

正確な情報を調べ直すのだ!!」

アレッチェの鬼気迫る形相に部下たちは震え上がりながらも、「事実でございます。間違いございませぬ。」と口々に返答する。

「なんと…。」

わななき驚愕した眼でアレッチェは言葉を呑んだまま、暫し、呆然と宙を見据えて固まった。

冷静を装い握り締めたその拳が、わなわなと震えはじめる。

改めて襲いくる非常な驚愕と混乱を止められなかったのだ。

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だが、本国からこの最果ての地へ赴任して何年間にも渡り、この不穏な植民地で勃発してきた幾多の問題事を、その並外れた明晰、且つ、冷徹な頭脳と判断によって解決してきたこの男は、この時も、その冷静さを完全には失うことはなかった。

アレッチェは、大いに動揺しながらも、しかし、一方で、状況を客観的に分析してもいた。

11月4日にトゥパク・アマルによる代官殺しによって火蓋を切られた反乱が、今、このリマに情報が伝わった11月24日までの、この、たかが三週間弱のうちに、これほどまでの大規模な反乱に発展しているというのは、果たしていかなることなのか?!

反乱勃発が、真に今月4日であったとするならば、そう、すべては、ほんの三週間のうちに展開したことになるのだ!

そうであるとすると、それはあまりにも、事態の動きが速過ぎるではないか…――!!

どう考えても、アレッチェには、にわかに信じがたかった。

しかしながら、反乱は、紛れも無く実際に起こった事実であり、且つまた、現在進行形で展開し続けている事実なのだ。

反乱を押さえ込むためには、まずは、客観的な状況の把握とその背景にある要因を把握することが不可欠だ。

驚愕の余韻を引き摺りながらも、既に通常の機能を取り戻したアレッチェの頭脳が、さらにめまぐるしく働きはじめる。

アレッチェは執務室の床に仁王立ちになったまま、その逞しい右手で額を押さえ、鋭くも考え深げな眼差しになる。

この短期間に、あれだけ各遠隔地まで反乱の火の手を広げるなど、単なる反乱の伝播の結果では、よもや有り得ぬこと。

彼の険しい横顔で、あの獰猛なほどに冷徹な目が鋭く光る。

足だけが通信の道具であるこの時代に、本来ならば遠く隔たり、インディオ同士で互いの連絡なぞ無いはずの多くの部落が、この僅かの期間に一斉に立ち上がったということは、その裏に長期に渡る慎重な反乱準備の存在無しには、もはや考えられぬ。

つまりは、今回の反乱は、一部で勃発したものが次々に伝播していった種類のものではなく、もともと火種を植えていたものを中央の指令によって一挙に燃え上がらせた種類のものなのだ。

そう、中央のあの男、トゥパク・アマルによって、はるか遠隔地まで巻き込んだ周到な反乱計画が準備されてきたに相違ない…――!!

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アレッチェが確信したその時、彼の執務室のドアに激しいノックの音がした。

アレッチェが返答するのも待たず、ドアが壊れんばかりの勢いで、はじけるように荒々しく開け放たれた。

姿を見せたのは、猛り狂った獅子のごとくの厳(いかめ)しい形相をした、長身でガッシリとした、筋肉の塊のようなスペイン人の大男だった。

年齢的には中年にさしかかる頃だが、立派な黒々とした顎鬚(あごひげ)をたくわえ、その目は生き生きと光り、威風堂々たる生気漲る風貌である。

身なりは高位のスペイン軍人の服装で、胸元には、所狭しとばかりに無数の勲章が輝いていた。

「アレッチェ殿!!」

男は獅子のごとくの非常に険しい形相のまま、肩をいからせながらズカズカと執務室の中に踏み込んでくる。

「これは、バリェ将軍。」

アレッチェも鋭い眼差しで、バリェと呼んだその男を、目を細めてやや鬱陶しげに見る。

おまえが何を言いに来たかを既に知っている、という辟易した目の色である。

そのようなアレッチェの表情に立ち向かうがごとくに、バリェもまた、攻め入るような厳しい視線をアレッチェに投げた。

「アレッチェ殿…――!

此度の反乱のこと、いかにお考えか。

そもそも、こうした事態を招かぬために、あなたのような植民地巡察官がいるのではないのか?!」

暑苦しいまでに詰め寄ってくるバリェ将軍を肩でいなすようにしながら、アレッチェは冷ややかな視線を返す。

「確かに、このような事態を招いた責任は感じております。」と口先では言うが、自分でさえ見抜けぬものを他の誰が見抜けようか、ましてや、首謀者はあのトゥパク・アマル、簡単に見破られるような反乱準備など行おうはずがなく、もはや事前に察知することなど不可能なことだったのだ、と、その目は開き直った不遜な光を放つ。

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そのようなアレッチェの様子に、バリェはいっそういきり立って、アレッチェに詰め寄った。

「反乱の火の手は、いまや、まるで燎原の火のごとく国中に広がっているというではないか!!

なぜ、これほどになるまで、安穏と気付かずにいたのだ!!」

興奮してがなり立てるバリェの口角から、唾が飛び散った。

アレッチェはその唾をよけながら、刃物のような鋭利な眼差しでバリェを一瞥する。

「燎原の火のごとく?」

アレッチェの声が、氷のように冷ややかに響いた。

そして、己にも噛み締め、言い含めるように続ける。

「バリェ将軍、『燎原の火のごとく』…――という、あなたの形容は、全くもって不適当ですな。

今回の反乱は、一部で勃発した反乱が、新たな地域に伝播し、模倣され、広がっていくような、そんなありきたりな単純なものとは全く質の異なるものですぞ。

バリェ将軍、あなたが考えているような、単に突発的な反乱や一揆とは、全く違うのだ。」

バリェは眉をひそめながらも、やや聞く耳をもった眼差しで、この巡察官アレッチェの方に改めて向き直る。

アレッチェも、そのガッシリとした肩をそびやかせながら、真正面からバリェに向いた。

そして、言い含めるように言う。

「今回の反乱は、明らかに、中央からの指令を受けて、時を合わせ、計画的に行われたものに相違あるまい。

相当な長期に渡って周到に準備が為されてこなければ、このような短期間に、これほどの規模で反乱を展開するなど不可能なこと…――。

バリェ将軍、あなたもこの後、あの男のことを熟知していなければ、我々の植民地支配の体制なぞ真に瓦解せしめられてしまいますぞ。」

黒々とした前髪から覗くアレッチェの目は、遠くの宿敵を射抜くがごとくに、非常に鋭く光った。

「あの男とは…?」

アレッチェの様子に、やや気圧された感のバリェが、低い声で問う。

「この反乱の首謀者、トゥパク・アマル。」

短く答えたアレッチェのその鋭利な彫りの深い横顔には、今や押さえきれぬ激しい憎悪と憤怒が燃え上がる。

それと共に、然るべき時の訪れに、もはや興奮を隠せぬ色さえ滲ませ、底知れぬ不気味な力を宿した赤黒い「気」のようなものまでが、その全身からムラムラと放たれはじめた。

実際、トゥパク・アマルよ、よくぞここまで華々しくやってくれたものだ…――。

バリェに見えぬよう、僅かにうつむき加減になったアレッチェの顔には、思わず意図せぬ苦笑がフッと浮かぶ。

それから、再び、顔を上げ、目前のバリェを鋭く見た。

その目は、もはや通常の、あの冷徹極まりない眼差しに戻っている。

「バリェ将軍、即刻、副王陛下の元に非常時委員会を招集し、あのトゥパク・アマルを徹底的に叩き潰すべく計略を練らねばなるまい。」

バリェも、厳しい軍人の顔に戻って、力強く頷いた。



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こうして、ついに首府リマにおいても、副王ハウレギのもと緊急に非常時委員会が召集された。

そこには、巡察官アレッチェ及びバリェ将軍を中心に、植民地支配の中枢を担う50名ほどのスペイン人高官たちが結集した。

そして、早速、此度の反乱鎮圧に向けて、それぞれの役割が検討された。

この一連のトゥパク・アマルの反乱を抑えこむために、最も難しく且つ重要な役割になるであろう討伐隊全軍の総指揮官を誰にするか、まずは、そのことが話し合われた。

「わたしにその役目、お任せください。」

鋭く、太く響く声で、間髪入れずに名乗りを上げる者がいる。

副王はじめ、高官たちが声の方に向き直る。

その視線の先には、やはり、あの男――その射竦めるような鋭い目を燃え立たせるがごとくの気迫を放ち、ガッシリとした分厚い胸板を毅然として反らせ、自信を漲らせているアレッチェの姿があった。

「必ずや、あのインディオの長を捕え、反逆者どもを一掃してみせましょう。」と言うその声には、激しい憎悪と執念に憑かれたような不気味さと共に、果たして、どこか、この事態を面白がっているかのごとくの余裕さえ伺える。

厳かな声で「そちに任せよう。」と、誓言するかのような口調で副王が言う。

他の高官たちも、一同異議なくこれを認めた。

「ありがたき幸せ。

必ずや、ご期待に応えてみせましょう。」

その眼に獲物を狙う野獣のごとくの光を宿して、アレッチェが恭しく礼を払う。

さらに、実戦の長である総司令官として、バリェ将軍が全会一致で任命され、その他こまごまとした役割が決められた。



かくして、首府リマに反乱の情報が伝わってから4日後の11月28日には、大至急体制を整えた第一分隊が、はやくも援軍としてクスコに向けてリマを発った。

さらに、サンガララでのスペイン軍完敗の知らせがリマに伝わった12月14日、血相を変えた副王ハウレギの命により、いっそう強化された第二分隊が組織され、早急に進軍を開始。

その後を追うように、バリェ将軍自身が第三分隊を率いてリマを後にし、さらに、間髪入れず、アレッチェ率いる主力部隊が、3000の小銃、六門の大砲、その他を持ってクスコへ向けて出立した。

これらスペイン側の援軍は、全体で数万人の規模に及ぶ。

そして、アレッチェのこの主力部隊には、後ほど明らかになる、ある特別な秘密があった。

それこそ、まさしくトゥパク・アマル率いる反乱軍必殺の「秘密兵器」とも呼び得るものであった。

こうして、いよいよ牙城クスコでの本格的な戦闘が、目前に迫り来ていたのだ。

ただし、首府リマからクスコまでの道程は、最短でも10日間を要する。

進軍中の馬上で、アレッチェはその太く鋭い眉をひそめた。

冷酷なその目が、ギラリと光る。

己の率いる討伐隊の主力となる軍隊がクスコに到着するのは、どれほど早くとも年明け1月の上旬にはなるであろう。

ほどなくトゥパク・アマルがクスコを襲った場合、果たしてクスコの戦力がどれほど持ちこたえてくれるものか。

反乱軍がクスコを陥落させるまでに、何としても我が援軍を間に合わせねばならぬ!

裁き

陣頭に立つアレッチェは、遥か牙城クスコの方角指して、恐るべき執念に満ち満ちた横顔を向けた。

その黒々とした目の中に、あの憎んでも憎みきれぬインディオの長、トゥパク・アマルを映し出して。

たかがインディオの分際で、スペイン王に盾突き、野蛮で未開なこの植民地の秩序を維持してきたスペイン人役人たちの治世を悉(ことごと)く否定した、あのインディオ、トゥパク・アマル――。

いかなる手段を取ろうとも、この侮辱の極み、必ずや、晴らしてみせようぞ…――そう、トゥパク・アマル、おまえを、そして一族を、一人も漏らさずあの処刑台に送ってやる!!

その時こそ、インカ帝国の完璧なる終焉になるであろう――…!!



他方、同じ頃、ペルー副王領に隣接するラ・プラタ副王領でも、勇猛なインカ族の首魁の指揮のもと、凄まじい勢いで次々とインカ側の占拠地を拡大していく反乱軍があった。

その首魁とは、まさに、あの男――トゥパク・アマルの有力な同盟者であり、アンドレスの師でもある、ラ・プラタ副王領の豪族アパサである。

そのアパサは、やはりかつてはインカ帝国の一部であったラ・プラタ副王領において、その卓越した戦術的手腕と武力によって、大軍団を自在に指揮して当地を震撼させていた。

彼は、トゥパク・アマルがペルー副王領で立ち上がるやいなや、時を合わせ、自らもラ・プラタ副王領で挙兵し、炎のごとくの勢いで各地を占拠し続けていたのだった。

それと共に、トゥパク・アマルと同様、アパサが反乱準備の中で同盟を結んできたラ・プラタ副王領の幾多の同盟者たちが、一斉に立ち上がっていた。

ラ・プラタ副王領のスペイン側は、副王ベルティスのもと戦時委員会を編成し、本格的な防戦態勢を敷いたが、このただでさえ暴れ者の素養を多分に有する、豪放磊落且つ獰猛で野獣のごとくの猛将アパサの怒涛のような暴れぶりには、ほとほと手を焼いていた。



一方、その頃、トゥパク・アマルら率いるインカ側本隊はどのような状況になっていたであろうか。

彼らは、アレッチェ率いる首府リマからの討伐隊が到達するよりもはやく、12月28日、ついにクスコを睥睨するピチュ山を占拠するに至ったのだった。

その日、トゥパク・アマルは暮れなずむ夕陽を受けながら、クスコの前面に聳え立つピチュ山の高台に立っていた。

その切れ長の美しい目元に情熱と憂いを秘めた光を宿し、静かな横顔で、眼下に広がるクスコの街並みを見下ろしていた。

既に、季節は初夏から夏へと移りつつある。

足元の草地からは、郷愁を誘う虫たちの声が響きはじめていた。

まるで彼の訪れを待ち侘びていたかのようなインカ時代と変わらぬ優しい風が、その絹のような髪をサラサラと撫で、そっと吹き抜けていく。

徐々に西に傾く陽光が、引き締った長身なトゥパク・アマルの漆黒の影を、彼の背後にいっそう長く引いていく。

彼の深く澄んだ瞳の中で、今、クスコの街並みは、透明な西日を受けて深いオレンジ色に染まりゆく。

遺跡夕景

確かに、侵略を受けてからの200年の間に、このインカ帝国の旧都には、侵略者によって無数の手が加えられてきた。

かつて中心部に厳かに聳え立っていたインカの神殿も、遥か昔に取り壊され、その堅固な石組みの上に、今はスペイン人の手による寺院が建っている。

しかし、それでも、街の随所に築かれた精緻な石組みの建造物たちは、すべてが取り壊されたわけではなく、スペイン人の目を逃れるように、ひっそりと空気に溶け込み、まだ今もそこにしっかりとその姿を留めていた。

トゥパク・アマルは包み込むような眼差しで、夕陽に照らされ、黄金色の輝きを放つ旧都を見つめ続けた。

まるで、その街並みに息づくインカ帝国時代の面影を愛しむように。

それから、武人の険しい顔に戻って、鋭くも考え深げな眼差しに変わる。

(このままでは、クスコはこれまで以上の激しい戦闘に晒されることになるであろう。

だが、この都には、血と火をもっての入城などしたくはない…――!)

トゥパク・アマルは、すっと目を細めた。

できることならば、流血の惨を見ずにクスコを占拠したかった。

このクスコの地まで荒らすことは、モスコーソによるトゥパク・アマルらのキリスト教破門宣言以来、スペイン側とインカ側との間で身の置き所を見失い、深い葛藤状態にある当地生まれのスペイン人たちの心を、さらに離反させる危険性をあまりにも多分に孕んでいた。

また、クスコ在住のスペイン人の名士たちには、「己がスペイン国王カルロス三世の名代として、悪代官討伐の軍を起こしたのだ」などといった方便の虚偽は、もはや通用せぬことも知っていた。

そして何よりも、インカの人々の魂の故郷にも等しいこの聖地を、これ以上戦乱に巻き込み、血で汚し合うことなどしたくはなかったのだ。

(不用意に戦闘をしかけることが、必ずしも得策とは思われぬ。)

トゥパク・アマルは、既に夕闇の中にかすみはじめた眼下の街並みを思慮深い眼差しで再び眺めやった後、ゆっくりと瞼を閉じた。

そして、今度は、じっと耳をすます。

その耳には、まだ姿の見えぬ敵方の大軍団が迫りくる足音が、はっきりと聞こえてくる。

トゥパク・アマルは目を見開いた。

今頃、首府リマからの討伐隊援軍がこのクスコの地に向かっていることは必定だった。

彼は鷹のような鋭い眼差しになると、いよいよ迫り来る強敵を見据え、射抜くがごとくにリマの方向を遥かに見渡した。

事を急ぎ進めねばならぬ…――!!



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その夜、トゥパク・アマルは側近たちを集め、クスコに使者を送って降伏を進め、流血の入城をせずにすむ方法を模索したい旨を伝えた。

側近たちも、クスコの状況を知っていたため、彼の考えに同意を示した。

実際、トゥパク・アマルがクスコに放った斥候たちによって、クスコが現在どれほどの混乱状態にあるかは刻々とインカ軍本営へと伝えられていた。

まさしく、トゥパク・アマルらのインカ軍に高地を占拠され、街を睥睨されながらも、未だ首府リマからの主力となる援軍の着かぬクスコは、全くの恐慌状態にあった。

ピチュ山の要衝を扼したトゥパク・アマルの軍勢がいつ攻め込んでくるか分からぬ状況は、クスコの住民たち、ことさらスペイン渡来の白人たちを限りなく震撼させた。

クスコの世論は、真二つに分かれていた。

インカ軍にクスコを明け渡そうという悲観派と、一歩も譲らずクスコを守るという強硬派である。

モスコーソ司祭が睨みをきかすクスコ市の戦時委員会は、「この反乱の時にあたって、市を捨ててはならぬ。この命令に背くクスコ市民は死刑に処する!」とまでの布告を発したが、リマからの援軍が着かぬ中では、その死刑宣告まで謳った恐るべき布告の発令にもかかわらず、夜陰に乗じて逃げ出す者たち、さらには、インカ軍に加わってしまう者たちが後を絶たぬという有様であった。

しかし、トゥパク・アマルをはじめ、側近たちが頭を悩ませたのは、クスコへの使者としていずれの者を立てるのか、という問題であった。

深夜のトゥパク・アマルの天幕の中で、男たちは蝋燭の火を受けながら、暫し言葉を持たず思案に暮れた。

アンドレスが身を乗り出すのを、ディエゴが鋭い目つきで、無言のまま強く制する。

よく考えよ、おまえが行けばその場で殺されるか捕虜にされるのは必定であろう、とその目は厳しく言っていた。

確かに、この場にいる側近たちのいかなる者が使者に立とうとも、モスコーソや戦時委員会の面々によって、その場で虐殺されるか、よいところ捕虜とされて討伐隊にいいように利用されることは火を見るよりも明らかだった。

なお、既に、一応の回復をしたフランシスコも、この天幕の中に姿を見せていた。

しかし、その顔は以前にも増していっそう青白く、神経のピリピリと立っている様子が伺える。

いずれにしろ、使者として誰に白羽の矢を立てたものか、さすがのトゥパク・アマルも揺れる蝋燭の炎を見つめたまま、じっと考えに耽り静かになっていた。

「暫し、失礼を。」と、不意に沈黙を破って立ち上がったのは、あのビルカパサだった。

彼の腕には、サンガララの戦いで大砲を受けた際の傷を覆った包帯が、まだ痛々しく巻かれている。

負傷してまだ日も浅く、まだまだ激痛も傷も癒えぬはずであったが、この男は、既に、何事も無かったように振舞っていた。



トゥパク・アマルの天幕を抜けたビルカパサは、そのまま己の天幕近くに陣を張っている自分の姪、かのマルセラの所に向かった。

マルセラも、今や、連隊長ビルカパサの正式なる隊長補佐の任にある。

深夜の蝋燭の灯りの下でクスコ近郊の地勢図を広げ、一人ぶつぶつと彼女なりに戦略をめぐらしていたらしきマルセラは、叔父ではあるものの、むしろトゥパク・アマルの重要な側近であり、且つまた、自軍の連隊長でもあるビルカパサの来訪に、しっかりと礼を払って応じた。

ビルカパサも、今や一人前の隊長補佐に成長しつつあるマルセラに、きちんと礼を払った。

そして、真っ直ぐマルセラの方に歩み来ると、「おまえに重要な任務を果たしてほしいのだ。」と、じっとマルセラの目を見つめた。

その目の色には、ある種の決意が見て取れ、しかしそれと共に、感情の統制の行き届いたこの男には極めて稀なことではあったが、微かに揺れる何かを宿している。

叔父ビルカパサの、どこか通常と異なる様子に、マルセラは何か、恐らく、ただならぬ任務を言い渡されるであろうことを悟った。

誓い

小さく固唾を呑み、しかし、真っ直ぐにビルカパサに向き直り、覚悟を決めた声でマルセラが問う。

「叔父様、何なりと仰ってください。

この身が役立つのであれば、どんなことでもいたしますから。」

「マルセラ。」と、ビルカパサは、やはり微かに揺れる眼差しでマルセラを見る。

その目に、マルセラは瞳でしっかりと頷いた。

その瞳には、自分の言葉に嘘はありません、と、誠意と決意を秘めた色が見て取れる。

ビルカパサは無言で、深く頷いた。

そして、感情を統制した静かな声で言う。

「トゥパク・アマル様の御言葉を伝えるために、おまえにクスコへの使者としての任を果たしてもらいたい。」

マルセラは、一瞬、息を呑む。

「クスコへ、私が…!」

ビルカパサが、頷く。

さすがのマルセラの瞳も、揺れはじめる。

それを悟られまいとするかのように、さっと僅かに顔を下に向けた。

そのマルセラの様子に、瞬間、ビルカパサの表情にも悲壮な色がよぎる。

暫し、沈黙が流れた。

しかし、すぐにマルセラは毅然と顔を上げると、覚悟を決めた目でしっかりとビルカパサを見据え、「わかりました。喜んで、そのお役目、引き受けましょう。」と、きっぱりと言う。

瞬間、ビルカパサの瞳が、激しく揺れる。

が、すぐにいつもの目の色を取り戻し、深く頷いた。

そして、マルセラの肩にその褐色の逞しい手を乗せて、「良く言ってくれた。さすがに、わたしの姪っ子だけある。」と、微笑んだ。

ビルカパサの言葉に、ニッ、と少年のようにはにかむマルセラに、ビルカパサはさらに不安を取り除くように続ける。

「確かに危険な任務ではあるが、クスコの面々も、さすがに女のおまえを殺すことはあるまい。ましてや敵方のモスコーソは、曲がりなりにも、この国最高のキリスト者、『司祭様』であられるからな。」と言って、改めて「大丈夫だ。」と付け加えた。

マルセラも、それは懸命に平静を装ってのことだったかもしれぬが、ともかくも落ち着きを取り戻した風情で、しかと頷く。

再びマルセラに頷き返すと、ビルカパサはマルセラを伴い、トゥパク・アマルの天幕へと向かった。



トゥパク・アマルの天幕では、彼を中心に円陣を描くようにして、側近たちが先刻の体勢のまま座っていたが、先ほどの面々に加え、そこには先刻は見られなかった一人の若いインカ族の青年の姿があった。

それは、アンドレスの神学校時代からの朋友、かのロレンソであった。

ロレンソはトゥパク・アマルの前に恭しく跪き、「どうぞ私にクスコへの使者としての任をお授けください。」と、申し出ているところであった。

そう言ってから、決意を秘めた力強い眼差しで、トゥパク・アマルをじっと見据える。

その傍では、かのアンドレスが非常に強く案ずる色を滲ませた眼差しで、極めて危険な任務を申し出た友を制しに、それこそ今にも飛び出さぬばかりの勢いで身を乗り出していた。

トゥパク・アマルは、アンドレスと同年齢の、その勇敢な目前の若者に包みこむような静かな視線を送りながら、しかし、やはり考え深げに目を細める。

そこへ「恐れながら。」と、ビルカパサが、トゥパク・アマルとロレンソの後ろに控えるように跪いた。

マルセラも、ビルカパサの少し後方に恭しく跪く。

ビルカパサは、「トゥパク・アマル様、ロレンソ殿、横からの申し出、誠に失礼をご容赦ください。」と深く礼を払った後、「何卒、その使者としての役目、このマルセラにお授けください。」と申し出た。

マルセラも深く礼を払い、それから、「どうぞ、そのお役目、この私にお任せください!」と、ゆるぎない決意を秘めた澄んだ瞳でトゥパク・アマルを真っ直ぐに見た。

側近一同も、ロレンソも、皆、驚いたようにそちらを振り返る。

なお、この時まで、マルセラとロレンソの間には全く面識はなかったため、同年代の若者がアンドレス以外にも身近にいたことに、互いの目はいっそう惹きつけられたはずである。

一方、アンドレスは「マルセラ!」と小さく叫ぶと、先ほどから揺れの止まらぬその澄んだ瞳をいっそう揺らしながら、いけない!そのような危険なことは…――と、思わず言葉に出そうになる。

トゥパク・アマルもまた、驚きを隠せぬ眼差しで、ビルカパサを、そして、マルセラを交互に見ながら、暫し、言葉を呑んでいる。

そのようなトゥパク・アマルに改めて礼を払い、ビルカパサが毅然とした口調で言う。

「さすがのモスコーソ殿も、公衆の注目する中、女人に危害を加えることはありますまい。

マルセラには、インカ貴族としての作法も授けてきております。

トゥパク・アマル様の使者として、決して不足無きよう振舞うこともできましょう。」

トゥパク・アマルは、しかし、といった色をまだ滲ませながら、ビルカパサからゆっくりとマルセラに視線を動かす。

マルセラは、トゥパク・アマルの視線を受けて改めて姿勢をただし、とても恭しく礼を払った。

「マルセラ、そなたの勇気、深くこの身に染みたぞ。」

トゥパク・アマルの誠意溢れる声音に、ハッと顔を上げたマルセラの瞳の中で、トゥパク・アマルは優しい眼差しで頷いた。

「しかし、この任務は非常な危険を伴う。

クスコは今や恐慌状態にあり、皆、ひどく気が立っておろう。

そのような中、使者とて、わたしの代理の者であれば、クスコの面々は憎悪の念から理性を失い、何をしてくるかわからぬのだ。」

その深く案じ、包み込むようなトゥパク・アマルの真摯な眼差しを受け、マルセラの心に感極まるものが湧き起こる。

クリスタル 紅

マルセラはもはや揺れる瞳を隠さず、しかし、きっぱりとした声で言う。

「トゥパク・アマル様、そのように敵方の気が立っている時だからこそ、厳(いかめ)しい殿方(とのがた)が出向かれるよりも、女の私が行った方がよいのだと存じます。

私とて、かつてのインカ帝国の都を血で染めたくはないのです。

この命、トゥパク・アマル様のために、そして、インカのために役立つのであれば、決して惜しくはありませぬ。」

そう言って、そのビルカパサ似の凛々しくも澄み切った瞳で、しっかりとトゥパク・アマルの目を貫くように見つめた。

側近一同も、そして、ロレンソも、健気にも勇敢なマルセラの姿に胸の熱くなるのを感じながら、思わず息を呑む。

トゥパク・アマルもまた、その目を細め、静かな眼差しで、しかし、その目元に熱を帯びた光を宿して、じっとマルセラを見つめた。

そして、ついに、ゆっくりと頷く。

「わかった。

それでは、マルセラ、わたしの使者として、そなたをクスコに遣わそう。」

トゥパク・アマルの言葉に、マルセラもビルカパサも深々と礼を払う。

その場にいた者たちも、二人の方に深く礼を払った眼差しで見つめる。

しかし、アンドレスと、そして、またロレンソにも、その瞳の中には、驚愕と激しく案じる色がまだ強く残っている。

そしてまた、表面に出さぬトゥパク・アマルの瞳の奥にも、微かに揺れるものがある。

彼は静かな声で続けた。

「そなたには、クスコで最も権力をもっておられるモスコーソ司祭のもとに行ってもらう。しかしながら、モスコーソ殿は一筋縄ではないお方だ。」と、脳裏にその姿を思い描くように、トゥパク・アマルは難しい表情になる。

「マルセラ、そなたは、わたしの書状をモスコーソ司祭に渡すだけでよい。

それ以上、決して、無理をしてはならぬ。

そなたが生きて戻ること、そのことを第一と心得よ。」

そう言って、「わかったね。」と、さらに念を押すようにマルセラをじっと見た。

「トゥパク・アマル様…。」

己の身を真に案ずるトゥパク・アマルの思いが伝わり、マルセラの胸はぐっと熱くなった。

「わかりました。」

そう答えながらも、このお方のためであれば、この命、本当に惜しくは無い…――そのような気持ちが激しく込み上げる。

それから、トゥパク・アマルは静かに視線を動かし、その年齢に似合わぬ大人びた鋭利な横顔に、驚きと深く案じる念を色濃く映しているもう一人の凛々しい若者、ロレンソの方を見た。

「ロレンソ殿、そなたの精鋭の兵と共に、クスコの門前までマルセラを護衛してはくれまいか。」

トゥパク・アマルの言葉に、ロレンソは深く頭を下げた。

「畏(かしこ)まりましてございます!」

力強く答えて見上げたロレンソの瞳に、トゥパク・アマルは、頼んだぞ、と強く頷き返す。

「出立は、明朝。

それまでに書状を用意いたそう。」

そのトゥパク・アマルの言葉で、その深夜の会合はひとまず散会となった。



shining moon blue willful

天幕の外では、星々が、既に夏の星座を描きながら刻一刻と、動きゆく。

足元からは、夏の虫の声がする。

トゥパク・アマルの天幕を去るビルカパサとマルセラを、アンドレスがすかさず追った。

「マルセラ!!」

血相を変えているアンドレスを振り返るマルセラの表情は、もはや、ゆるぎない決意の色である。

ビルカパサも、相変わらず冷静な眼差しでアンドレスを見る。

一方、アンドレスは、強張った表情で、マルセラに詰め寄った。

「マルセラ、これがどれほど危険なことなのかわかっているのか?!

モスコーソ司祭は、キリスト教に何の危害も加えていないトゥパク・アマル様を破門にまでしたお方だ。

俺たちインカに対する憎悪の塊のようなお方だ!

そんな司祭の前に、マルセラ、君、一人が行くなんて!!

それが、どんなに危険なことか、わかっているのか?!

駄目だ!!

こんな無謀なこと、俺は認めない!!

考え直すんだ、マルセラ…俺から、トゥパク・アマル様に、もう一度話をするから、だから…!!」

堰切ったように言いながら、アンドレスは思わず、むせ返る。

しかし、すぐにまた険しい表情で、いっそうマルセラに詰め寄った。

「君の命が…マルセラ…君は、殺されるかもしれないんだぞ!!

トゥパク・アマル様も、今度ばかりは、正気の沙汰とは思えない。

君を一人で行かせるなんて…!

君を行かすくらいならば、本当に、俺が…!!」

アンドレスの言葉に、覚悟を決めたはずの瞳が再び揺れはじめるマルセラの横顔を見て取るなり、ビルカパサが素早く二人の間に割って入る。

「アンドレス様、あなた様が単身クスコなどに行こうものなら、どのような目に合わされるか、火を見るよりも明らか。

あなた様が、トゥパク・アマル様の近しいお血筋であることなど、もはやクスコの役人たちは、とうに調べ上げているはずです。

しかも、あなた様の前線での戦いぶりも、知れ渡っている。

そんなあなた様がむざむざ使者として出向こうものなら、虐殺はもとより、生け捕りにされ、人質にされ、いいように利用されるのが関の山。

そんなことになろうものなら、ここまでトゥパク・アマル様やあなた様が慎重に進めてこられた反乱計画のすべてが水泡に帰すのです。」

礼を込めながらも、厳然とした眼差しで語るビルカパサのその声は、冷徹そのものだった。

blue spirit spiral

だが、アンドレスも引き下がらない。

「ビルカパサ殿!

あなたが今、言ったのと、それと同じ危険がマルセラにも起こりえるのです!!

ましてや、マルセラは、女性なのです。

あのような悪鬼のごとくのスペイン人役人たちの中に、マルセラを一人放り込むなど…、どのような酷い目に合わされるか、それこそ想像するだけで身震いが起こります。

俺は、そのようなこと、絶対に容認できません!!

俺から、トゥパク・アマル様に、お考え直しを進言いたします!!」

しかし、ビルカパサは感情を統制し切ったあの眼差しと声で、短く、毅然と応ずる。

「トゥパク・アマル様の決定は絶対です。

それに、もしマルセラがそのような目に合おうとも、あるいは、生きて戻れぬとも、それはマルセラの運命がそこまでであったということ。

その時は、マルセラは、もはや最初からいなかったものと思うしかありませぬ。」

「なっ…――!!」

アンドレスは思わず絶句し、だが次の瞬間には、全く無意識のなせる業であったが、本人も止められぬまま、非常に険しい眼でビルカパサを睨みつけていた。

「ビルカパサ殿、それでは、何かあればマルセラを見捨てると?!」

ビルカパサは顔色一つ変えず、「その時は仕方ありませぬ。」と、短く答える。

殆ど反射的に、アンドレスの指がビルカパサの襟元に掴みかかった。

「ビルカパサ殿、あなたは…あなたは、なんという冷たいお人だ!!

マルセラは、我々にとって、かけがえのない仲間なのですよ!

ましてや、あなたの姪ではありませんか!!」

既に鍛え抜かれたアンドレスの指は、同様に逞しいビルカパサの首さえもガッチリと締め上げるのに十分だった。

アンドレスの指は、憤りに震えながら、さらにビルカパサの首を締め上げる。

ビルカパサは完全に息の根を止められた状態で、その顔色がたちまち青黒く変異していく。

しかし、ビルカパサはアンドレスに掴みかかられたそのままの体勢で、深く礼を払うように頷き、「アンドレス様、マルセラの身をそこまで案じてくださること、誠にありがたきことに存じます。」と、擦れた声で恭しく言う。

すっかり興奮状態にあるアンドレスには読み取れはしなかったが、ビルカパサのその瞳には、全く嫌味な色はなく、むしろ誠実さと感謝の色に溢れていた。

マルセラは予測だにせぬ事態の展開に驚愕しながら、しかし、ともかくビルカパサの顔色の変化にすっかり慌てて、二人の間に入ろうとする。

「アンドレス様、おやめください!!

叔父様、しっかりして!!」

ビルカパサを締め上げるアンドレスの手は固く、マルセラの力では、とてもほどけない。

蒼い波

そこへ走って割って入ってきたのは、アンドレスの朋友、あのロレンソだった。

「アンドレス、何をしている!!

落ち着け!!」

ロレンソはアンドレスの手に己の手を添えると、その冷静な落ち着いた手つきで、ビルカパサを締め上げている友の指を素早くほどいた。

本当に息の止まっていたビルカパサが、その場にむせながら跪く。

ロレンソは、まだ非常に険しい眼のまま興奮のために肩で息を荒げているアンドレスを見据え、諭すような声で言う。

「アンドレス、ビルカパサ殿を殺す気か?!」

そして、まだ目を血走らせている友の顔を、正面から真っ直ぐ見つめた。

「アンドレス、そなたならわかるはずだ。

ビルカパサ殿とて、本心はどれほどご心配されていることか。」

ロレンソの言葉に、アンドレスの瞳は、再び、大きく揺れはじめる。

「アンドレス、案ずるな。

マルセラ殿は、わたしがお守りする。」

その言葉に、ビルカパサは深く頭を下げた。

アンドレスも、苦しげな眼差しで、改めて朋友を見上げる。

その瞳に、ロレンソは凛々しく微笑み、「案ずるな。」と力強く頷き返した。



◆◇◆ここまでお読みくださり、誠にありがとうございました。続きは、フリーページ第六話 牙城クスコ(2)をご覧ください。◆◇◆








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